「わたしのゴール」を決める
前もって約束していたわけではないのに、話の流れで「今日、うちに寄っていかない?」なんて言われて、ついていった知人宅(3歳と5歳の男の子と、犬がいる……)が、
「インテリア雑誌か、モデルルーム?!」
と見まごう美しさだった場合。
「すっごーい! きれい! すてき!」
すなおに感動してしまうだけなら、いいのです。
でも、そうではなく、
「信じられない……それに比べて、この私は(我が家は)」
なんていう、劣等感や罪悪感にさいなまれてしまうのならば。
今日も朝から、ゴミ捨てに走り、片付け、洗濯と掃除、洗い物とフル回転。
ちゃんとリビングだってきれいにして、お昼前にはリセットしたのに、夕方、子どもたちが帰宅して、お友達やきょうだいで遊び始め小一時間もすれば、まるでゴミ溜めのよう。
「なんでこうなるの?」
そのうえ、そうしてほとほと疲れ切った21時過ぎ。
帰ってきた家族に、
「ねえどうしていつも、うちってこんなに散らかってるの……」
なんてボヤかれ、それに対して言いようのない怒りでいっぱいになってしまうのならば。
はい、深呼吸(す〜、は〜……)。落ち着いて。「ズボラそうじ」の軸足を、思い出してみてください。
そうです、
『もうちょっと“わたしが”ラクにできるやりかた』
で、やっていくのが、本筋でした。軸は、「わたしが」ですよ!
だけども、誰かのステキな暮らしや、普段そうじしているわけでもない誰かの言葉に、グラグラ揺らされてしまうこともありますよね。それは、仕方ない。
うちの汚れる原因も、落ちてるゴミも、よその家のそれとは違うし、「わたし」が使い易い道具も、洗剤も、そうじに取り組むタイミングも、自分なりに探して、試して、日々くふうしてやっている。
そういう「道の途上」に、まだ、あるのですから。確立していなくて、当たり前。
落ち込んだり、怒ったりしてもいい。するのも道理で、当たり前ではあるんですけど、でも、別に、しなくてもいいんです。
【「わたしのゴール」を、決めましょう】
ゴール? ゴールって? なにかといったら、「わたしのそうじのゴール」です。
毎日、毎日、「すっごーい! きれい! すてき!」と人から言われるような「ゴール」を設定するのも良し。ですが、
「とりあえず、生もの(!)は、床に落ちてない……」
という、謎めいたゴールであっても、全く良いということです。
・赤ちゃんが誤飲するようなモノ、ゴミが床上にない状態
・なにはともあれ、ダイニングテーブルの上にだけはモノがない状態
・「やるぞ!」と気合を入れたら15分で片付く程よい生活感
・キレイなのはトイレだけ
などなど。
子どもが幼稚園に行くようになったら、「ダイニングテーブルの上」のほか、「キッチン」も、もう少しキレイが維持できるようになったり、仕事を再開したら、とりあえず水周りだけはそうじするけどほかはちょっとねということになったり。
家族の状況や、いろいろな要因で、「ゴール」の様相は変化し続けるかもしれません。
でも、この暮らしはほかの誰のモノでも無い、ということを、いつも覚えておいてください。
『もうちょっと“わたしが”ラクにできるやりかた』
「わたしが」が、何よりも、大事なんです。