お掃除はズボラでOK

「正直、もう疲れちゃった」ならば

「正直、もう疲れちゃった」ならば

個人的な話で恐縮です。
私、実は今年で「主婦」になって20年、経ちました。

20年って、冷静に考えると、すごく長い時間じゃないですか?

20年前。
その頃の世の中。

今や、「あって当たり前」の、

インターネット。
まあ登場していましたけど、

まだちょっと一般的に広まっているとまでは、
言えない時代。

スマホは、まだ、カゲも形もない!

行き渡りつつあった携帯電話本体で、
わあ! メール(Eメール)が打てた!
なんてことが、ニュースになる時代。

携帯電話本体で、写真が撮れた!
それも大ニュース!

一方、家事の世界では……。

今ではわりとありえてしまう、
「10万円もする」掃除機なんて、
まだ全然普通には売っていませんでしたね。

ロボット掃除機なんて夢のまた夢!
そんなのありえない! っていう世界観と、価値観。

それが、20年前でした。

さて厚生労働省の資料、
「専業主婦世帯と共働き世帯の推移」によれば。

専業主婦世帯と共働き世帯の勢いが、
ごにょごにょと拮抗していたのが、
そんな20年前の1999年、世紀末あたりのことです。

その後2002年を境に、各々は、きっちりクロスして、

共働き世帯が主流となっていきました。

つまりは女の人が家の外で、賃労働に従事しながら、

家事、つまり食事作りも、掃除も洗濯も……やる。

というのが、なんとなく「当たり前」な時代に、

なっていったというわけです。

それは、私自身の生活でも、

同じでした。

でもですね。

あのね。

正直に言います。

そんなにですね、

あれもこれも、やらなくちゃいけなくなると、

疲れちゃうんですよね。ものすごく。

ほんっとに、「もう無理」って言いたくなっちゃうんです。

というか「無理」が来ました。

私自身は、15年ほど、
わりとまじめに「主婦」をやってみました。
でも一度、燃え尽きてしまいました。

まず体力的に「限界」が来ました。
気力的にも、がんばれなくなってしまいました。

ものすごい病気や事件にならなかったのは、

ただの「たまたま」だったと思います。

きっとね、

「無理」って言えなかった、
まじめさの先に起こってしまったのだと思う。
悲しい事件や事故が、いまも毎日のように、

報道されています。

「あれもこれも」じゃない時代には、
当たり前にこなさなければいけなかった、
家事や掃除の内容があるのだと思います。

誰しもが無意識のうち、
当たり前に、「ちゃんと」、
しなきゃいけないと思い込んでいたことが、

あるのだと思います。

そのくらいできて、

ちゃんとできて、

当たり前という、自負。

でも「そのくらい」と見積もる態度って、

ほんとは、家事、掃除への侮り。
だったりもするんですよね。

燃え尽きて、やっと、
私はいろいろと考え違いをしていたのだと気づきました。
後から。

「そのくらい」なんかじゃ、
ぜんぜん、なかった。

キャパシティを完全に超えていた。

そうして、やっと、
「疲れちゃった」って、
家族に向かって正直に言ったのです。

もう「ちゃんと」は、できない。
ごめんなさい、と。

しかし、
しみじみ「ちゃんと」って、謎の言葉ですよね。
「ちゃん」ってなんですか。
「ちゃん」???

「ちゃん」ができなくなるのは、わかった。

でも「ちゃん」て何だったの?

それから朝、起きる時間から、棚卸しです。

家事、掃除の内容も、
我が家の最小限度を探りました。

その「ちゃん」は本当に必要なことなのか。
ただの気持ち的な執着ではないか。
家族でリカバリできることじゃないのか。

すると私が「ちゃんと」しなきゃと思い込んでいたのに、

家族からはぜんぜん求めていなかった!
なんてこともたくさんありました。
がっかりです。
けど、だからそれはもう、やらなくていい。

逆に「もう無理」と避けてしまったけど、

それだけはお願い、と求められることだったりして、

できるかな? と思案する。

私の思い込みだけで「ちゃんと」のタスクを決めないことも、
すごく大事なんだなと気づけました。

家族と暮らしているのですからね。

でも20年前と大きく、今が違うところは、

情報が、圧倒的に、あふれていること。

自分や自分の家族以外の「ちゃんと」「当たり前」情報も、

望むと望まざるとに関わらず、

目に入ってしまいやすいこと。

だから「ちゃんと」の基準も、グラグラ揺さぶられて、
自分や家族がほんとに必要としていることが、

見えにくくなっているのかも知れないこと。

こういったことは、とりあえず、

自覚しておいたほうがいいのでしょう。

いまもしも「正直、もう疲れちゃっ」ているならば、
一回、ぜんぶ「ストップ」してみるのも、ありかと思います。
意図的に。

社会人だってやります。ストライキ。

押入れに引きこもってもいいし、
どこかに出奔してもいい。

病気や、もうどうにもならない状態に陥ってしまうより、

そのほうが、ずっと、ましだから。

その「ちゃんと」は本当に必要だったのか、

家族全員で、判断し直して欲しいのです。

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「正直、もう疲れちゃった」ならば

「正直、もう疲れちゃった」ならば

この記事の監修者

藤原千秋

藤原千秋

「家のなか」の事をテーマにウェブ、雑誌、書籍、新聞等で執筆。大手住宅メーカー営業職を経て
2001年よりAllAboutガイド。きほんから新発想まで 家事ずかん750』(朝日新聞出版)等、著監
修書多数。2020年より東京中日新聞にてコラム『住箱のスミ』連載中。2018年よりTBSラジオ『ジ
ェーン・スー 生活は踊る』水曜月1レギュラー出演中。
AllAbout 家事・掃除・子育て
https://allabout.co.jp/gm/gp/31/
Yahoo!ニュース個人
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiwarachiaki
文春オンライン
https://bunshun.jp/list/author/61444eb47765619d04010000
集英社LEEweb
https://lee.hpplus.jp/column/series/souji/

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