『ちゃんとしている人』が決めた基準で、比べない
隣の芝生、なんて言われたところでピンとこなくても、
スマホの中の誰か、と言われたらそりゃあ羨ましいんです。
現実の隣人が誰かなんて知る由もなくても、
毎日顔や声をスマホで見るあの人の方が親しく感じちゃうんです。
そうやっていつも突然、
知らない誰かが大々的にバズって私のタイムラインに登場。
新しい、初めて見る、
魅力を湛えて。
同時代に、がんばっていて、
きらきらしていて、
多くの人に支持されていて。
皆の「範」になるべき素晴らしい、
ちゃんとした人に見える。
真似したくなりますよね。
そこに「正解」があるような気がするから。
時代の寵児ならなおのこと。
手垢のついた古い価値観ではない「今」の最適解。
教えてください。教えてくれます。
旗を振ってくれます。
ついてゆきたいんです。
普通とか当たり前とか常識とか言われたら、
ギクッとしちゃうんです。
「みんなやってる」「みんな知ってる」
ドキドキしちゃうんです。
乗り遅れたくない。
乗り遅れたくない。
ベストバイ、気になります。
カートに、ポチポチポチッ。
決済、完了。
そうしたら何か全て解決したような満足感。
これでちゃんとできる、これでステキに暮らせる。
でも夜になったら、また、
スマホでリール動画をひたすら見続けている……。
「ちゃんとしている」っぽい、
あの人の基準はクリアです。
たった60秒の尺の中で結論まで走り抜ける。
これを買えばいい
こうすればいい
この順番でやればいい
だから、考えなくていい。
判断しなくていい。
でもその基準は、
その人の育ち方に根づいたものであり、
その人の家の広さでできていて、
その人の家族構成でできていて、
その人の体力や、時間や、
その人の「当時の判断」で、
できているものであって。
それでもなお比べてしまうとき、
私たちは他人の「結果」だけを見て、
自分の「事情」をうっかり忘れてしまうのです。
いつも、
いちばん不利な条件で、
いちばん有利な相手と自分を見比べてしまう。
それで「ホッとする」ならいいのだけれど……。
どうしていいかわからなくなって、
夜な夜なスマホでリール動画をひたすら見続けているなら、
それはやっぱり「ちがうこと」なんです。
比べてしまうことを、 いますぐすべてやめなくてもいいのだと思います。
ただその基準が、
「誰の判断」
から来たものなのか。
一度だけ、立ち止まって考えてみる。
それだけでも、
心のざわめきは、
少しだけ、静かになるのではないでしょうか。












