ズボラのイノベーション
「どうして“わたしが”そうじしなくちゃいけないのかなぁ」
あんまり大きな声では言いにくいことですが、こんなボヤキ。人のいないところでは、(ため息まじりに)漏らしてしまっていませんか?
「どうして“わたしが”」
(実家にいたころなら、お母さんがやってくれていたことなのに)
(わたし以外の、誰かが、そうじしてくれたらいいのに)
(わたしだって、他にもやることがたくさんあるのに)
べつに「仕事」として、割り振られたわけでもない。いわんや「契約」なんかしてない。
面と向かって「そうじ係」に任ぜられた覚えもない。けれど、なんでか、そういう「役割」になってしまったみたい。だから、仕方なく、いやいや「“わたしが”そうじしている」。
あまたの(主に)家庭という場において。きっと、そんなふうに、なしくずしに“わたしが”そうじを日々がんばっているのだという人は、きっとたくさんいることでしょう。ものすごく雑に数えて、全国で500万人くらいは、いるのでは。
本心を言えば、気は進まない。でも住まいと言うのはおうおうにして、みるみる間に、とんでもないことになるから“わたしが”やるしかない。
それにつけても、どこもかしこも汚れるものですね。誰も住んでいない家だって、どこからともなく入り込むホコリや煤煙で、床なんかあっという間に真っ黒です。いわんや、育ち盛りの子どもがいて、毛のモフモフした動物がいて、窓を開けたり閉めたり、布団を敷いたり畳んだり、飛んだり跳ねたり、食べたり飲んだりしていて、家が汚れないわけがありません。
しかも汚した当人がそうじをするわけではない。そうこう「しかたがない」と諦めて、「むーっ」と怒りながら、そうじをしていたりするのって、やっぱり、しんどいのです。
「どうして“わたしが”そうじしなきゃいけないの?」
大きな声では言いにくいことですが、こんなボヤキ、実は“わたしも”、しょっちゅう、漏らしていました。
でも、ボヤキ続けているだけでは、ひとつも状況は、変わらないのでした。
「なんかこう、もうちょっと“わたしが”ラクにできるやりかたって、ないものかなあ」
ラクしたい。という欲求は、人類のイノベーションの種であります。
ズボラしたい、も、そう。
怠惰はくふうの泉です。
そうこう、模索し続け十数年。もとからのオタク気質もあって、試行錯誤しながらそんな「やりかた」をきわめつつあるのが、これからお話しする、わたしの「ズボラそうじ」術です。
ただし、「ズボラ」とわざわざ銘打つだけあって、基本的に「デキル主婦(夫)」などをめざすものでは、ありませんので、そこはどうぞお間違えのないように。
誰しもある、だるいなあ、めんどうくさいなあという気持ち(ズボラ・マインド)を大切にした、「わりあいダメなとき(体調や、状況や、いろいろ)でもなんとか」しよう……したい、という人向けの「やりかた」です。
さて……そうこう言っている今このときにも、部屋の中にはホコリがちゃくちゃくと降り積もり、汚れています。
そんな今日のズボラそうじは、「窓を開ける(玄関ドアでも良し)だけ。ただし、2カ所以上を」。
2カ所目の窓の代わりに、「換気扇」のスイッチをひとつかふたつONするのでも良いです。
なんと、これで、降り積もるホコリの一部は、勝手に家の外に出て行ってくれます。よけいな水蒸気(湿気)や、こもった二酸化炭素なども出て行きます。窓を開けるだけの自然「換気」は、それだけで、もう、ひとつの「そうじ」なのです!
外気を住まいに取り入れると、その季節独特の空気の匂いが感じられます。
そんな一瞬の「気づき」をおまけに、ズボラそうじ力を一緒にきわめて行きましょう。